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ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

次のアクション


1月があっという間に終わった。
3月までこんな感じだと思う。毎年こんな感じだ。

今日もすぐに時間が経ったような気がする。
のんびりというよりも、時間の流れは止まらないイメージが一杯だ。

2月も一瞬で過ぎ去るだろうから、心して挑んでいく。
そして、最近のテーマは、個人と会社の切り分けというか、
うまく個人と会社を分けていく。形式化というか、
形とイメージを、つまりは、目に見えるものと、目に見えないものを
うまく 落としこんでいくといったほうがいいだろうか。

具体的には、個人ブログサイトを立ち上げ、
そちらに仕事などを提示。またサービスを実施。
そして、会社サイトやサービスはそちらはそちらで管理実施。

ポートフォリオとしては完璧なイメージ。


断る力

断るって何だろうと思っていて、
それはある程度を捨てることでもあり、傷みも生じる。あ、痛みか。

関係性とは、何だろうか。
痛みをどう捉えるかで、実際に価格が安ければいいという人は
やはりやすいものに価値を覚えるから、そういう人は価値の転換が
分からないとお付き合いが出来ないかもしれない。それはあるような気がする。

言えないけど書けるみたいなことがある。
それはイベント設計において、人に対する配慮だと思う。あまり深い意味はない。
書くことでまとめることと、理屈やロジカルは似てる。
例えば、発言をまとめて出来ないということは、書けないということと同義でもあったりしやすい。
言えるけど書けない人はいても、大体発言はまとまってないということが多い。

専門家、または何かに特化しないほうがいいということはある。
ひろく視えないことになるからだ。だが、見える部分を最大化しないと視えないこともある。
そこが難しいところでもある。

優等生で、真面目、社会に従順、物語として出来過ぎていることにたいして
あまり魅力を感じない。多少のひねくれはあるが、人間そんなものだと思う。
まっとうな人はおそらく大体ひねくれて見える。

褒めあうのは大事だが、悪いこととか直したことを言えないということは、
それはそれで高めあう関係にもっていけないかもしれない。
例えばそれは無自覚でも、無意識でも、ぬるま湯にならない、
そういうのがあれば別だが、なければ泥船で沈んでいくことになりがち。

今やっていないことをやるのは難しい。
決意はその証明。決意した、またはそれから決意し続けるのは難易度が高い。
そして、体が動いているようにしなければ、いきなり運動をすれば怪我をする。
体を温めるプロセスやタスクを見ていないとやれることもできない。

勉強するという形式にとらわれると多分座学と教科書みたいになる。
人に聴きこむとか、実際にやってみるとか、そういう選択肢があるかないかで
全然違ってくる。で、勉強は大事だと思う。

がしがしまとめられるものを整理してしまうー。

エネルギーシフト

エネルギーって色々な意味があるが、
実際に運動する力、仕事量とかでもいいけど、
電気がつくにはそれ相応のエネルギーが必要。電池といってもいい。

30W生活、100W生活。
都市部では600Wくらいいるそうで。

すぐにはエネルギーをなくして生活ができるわけではない。
でも、自給するということが大事で、トライしてみると色々できる、らしい。

電気の使い方は、発電所から得られるもので使う。
というマインドセットがある場合、または原発以外の自然エネルギーで代替する場合、
それでも経済との連動で、あまり意味はない。
結局、電力会社が供給する以上、太陽光発電の電気は増減で購買されるので、
その購買したお金は、電気を受容する人々で分かち合う、つまり負担することになる。
あまり、良い仕組みとは思えないが、ただインフラ的にいえばまあ文句を言えない感じはする。

そこからマインドセット、考え方を外してみる。
すると、自給してある一定の容量なら自給できるし、暮らせるとする。
それなら、それでよく、無駄に電気を使う必要はない。肝は電気を否定してないということ。

生活コストというものを減らせる。また同時にゆとりや余裕、世界観、
先程かいた専門性や生きていくスキル、などかなりのものができると思ったりする。 

便利さみたいなものを少し捨てると、何かをたくさん得られるという言葉は感動モノかもしれない。
ここに気づける人は、若い人か、年配の人か両極端なのかもね。

お金をかけずにシゴトをする、シゴトをつくる。そこが大事。それはできる。
一杯あるのだから、落ち着いて探せばいい。そしてトライしてみること。

合理性より文化性。結局、経済的なもののものさしでやってる限り(全てを放棄せよとはいってない)、
なかなか文化性にいけないかも。あと、実践の中でみえるアイデアや工夫が楽しい。
勘所をみつけるには、継続してやっていくしかない。例えばここではプログラミングx心理講座、
的なものができそうだからやってみるといいかなと。2日くらいでできそう。

発明家というおいしいポジションはある種のシゴトを語っているが、
職業というよりは、藤村さんを語っている。やはりフリーで動く人は、
名前で語る必要があるなあと。つまり、肩書きはあまり意味がない。ただの入口であるなと。

考える、潜る、思考する、浮上する、自分の心配をしない。

自分の心配をする・・・ことがなくなってきた。
もちろん、余裕があるわけでもなんでもないが、
結局心配をするみたいな心のベクトル?は、
常にあるし、集中しても、何かしても一瞬は消えるが、
結局消えることがない。一生付き合っていく心理状態としてのパートナーと
言えるかも知れない。

あまり先のことを考えると動けなくなるとか、
明日のことは分からないみたいな考えが好きだ。
でも、目標を立てて動くこともないと動けないというのも分かる。
そこで、折衷したアイデア。ぼちぼちの目標、たまに厳しく、たまにゆるく。

人の逆のベクトル、点を設置して、相手を弛緩する。
緩める人。というのはいいかもしれない。ガチガチに緊張していては
良いパフォーマンスもなかなか発揮できないから。

より流動的に、形があるかないか分からないぐらいで、
流れに身を任せているように、流れをコントロールしているように、
ほぼ同時にどちらか分からないぐらいで動く。のがいいかなと。

生活のちまちましたものが、とても良いのではないかと思うのと同時に、
そこでの専門性ではない、専門性を僕は得たいのではないかと思った。
そこは非常にパワフルで、温かい、そして刺激的な領域ではないかと思う。

それは、言葉であり、人であり、場であり、ロジックであり、
社会であり、アイデアであるといっていい。ここはもう確実に射程距離。
あとはこれらをしっかりとこつこつとやっていくだけで、
あまりここに苦労とか変な言葉はついてこない。好きだし、楽しいし、やる。
という肯定の言葉で語ることが素直にできる。
 
高解像度のレンズを手に入れた時、物事が区別がつく、分かるという状態になる。
これはこうでああでというように、一般的に他人が見た時に分からないことが
分かる。気づくことができる。

時間の流れが異なるか。

例えば、名古屋と東京でマクドナルドにいる時間は、
同じ1時間であるが、当然、遠方に出かけているという意味で、
東京のほうが慌ただしく感じやすい。

しかし、感覚の問題で絶対的な時間の進みなどは一緒と考えて良い。

充実していれば時間の流れは早くなる。
逆もまたしかり。

冷静に考えれば、これが逆にもなる。
つまり、東京の人が名古屋に来てということだ。

そして、ここから次のステップへ。

つまり、東京に住めばそこが日常化して、慣れる。
人も、情報も、やり方?もそんな感じで。

日常化すれば、憧れや期待は溶け込み、
例えば、ぼーと過ごすことも可能だし、そういったことをしている。
考える時間が田舎にはあって、都会にはないということもない。
時間の使い方は、環境に規定される、ならば、それを作り出せばいい。
引きこもるのもいいが、田舎で引きこもりはなくて、単に娯楽がないからだろう。
馬鹿にしているのではない。

都会の機能は情報や娯楽などの集中、蓄積、便利などがあり、
そこにいるということは、ある種社交であって、何か夢や希望、
こういうことをしたい、人とつながる、何かしたい、店をやりたい、
そういったものがあっての前提ではないかと思う。

暗にそれがあるから、東京へいきたい、都会へいきたい、
そうなるのではないかと。

だからこそ、人口比では数倍5倍はあるところでは、
5倍の単価になるか、または5倍の人件費、5倍のコストになるか。
いや、そこまではなってない。

なぜなら人口に比例した、店の数、人の数がいるので、
結局、マクドナルドの数は2倍3倍くらいあっても、働く人は2倍3倍で、
利用する人も2倍3倍であって、というだけで良い感じの数値で
キリがつくのだろうと。経済的に考えれば。

でも、心理的には、人が多いと、どこにいても、誰かがいるというような
妙な感覚に陥る。

環境が時間を規定するなら、この物理的な数値よりも、
実際に感じる主観、心理的な面、集団や他の人との兼ね合いのほうが
重要な気がしてくる。

まあ、分からないなりに考えてみた結果がこんな感じであるわけで。

色々重ねていく


何度も思うけれど整理しつつ。

企画、プロジェクト、掛け算。
ネタ、アウトプットを収集して、どんどんスパイラルのように
発展していく。

つまり、インプットを何度もアウトプットできるし、
アウトプットからインプットというような流れ。

とにかくそこらへんは楽しい。

染まる。アウェイ。

あまりまとまってはいないが・・・色々と。

まず、染まるについて。
どうしても、慣れてくると雑になったり、省略があったりする。
問題はそこではなく、何を生産しているかとか、何を影響させているかみたいな
そんなことじゃないかと思ったりする。

存在、自分の存在がとても小さいことを感じている。
無力感というのは文字通り無力であることを感じることだが、
それは何かやってやろうというモチベーションでもあるので、
ちょっと違うのではないかと思ったりする。
つまり、力不足を感じて俄然高まるやる気、といったほうがいいだろう。

やれていないことが多すぎるので、やれていることややったことに対する
興味が薄い。どちらかというと、編集素材としての、やったことでしかない。
色々な可能性はあるけど、制約も出てくるし、ここのさじ加減が面白いところだ。

動くこと

閾値の低さは、飛び込んでみるというところから生まれる可能性あり。
飛び込んで自分で編集する、構築する、そこから生まれてくるのは、
簡単なことで動じないというよりも、少しの成長も楽しめるという閾値の低さ。

壁を超える

壁を超えるとは、
ジャンルとか既にある決まったフォーム。
そんなものをぶっ壊していく、壊すという感じじゃなくてもいい。
とにかく現状のままではいないという感じか。

世の中を良くすることが当たり前だと言い切れるのは素晴らしく、
全く同感だが、どうもそういうように考える人も少なく。
とはいえ、ここで止まっていて、何もせずにいてはイラっとするので、
少しずつ変えていくしかないのではないかなと。


そもそも物事はできないのが前提というのは
何か教える側のスタンスとしてはいいですね。
できて当たり前だと、出来ないと起こるし、できても普通ですしね。

相補性。それを補うかのように、ピーズや部分が動くこと。
つまり、全体で考えれば社会がそのように動く。環境構築とは変化をさせて、
追い込んでいくということでもある。

考え方を変えるよりも、行動を変えるというコストのほうが圧倒的に低い。
とはいえ、行動を変える、それが自発性だとなかなかきついけれど。

アウトプット


11/13

大阪行きの電車にて。
体調はあまりよくないが、寝まくってそこそこ取り戻す。
まあ、多分今日は大丈夫だろう。

それよりも、最近をまとめよう。
色々なことがあって、ほぼゆっくりしてる感じのものは
消えていってしまっている。それほど忙しいとは思わないけど、
タスク漏れしそうなフンイキも常にある。

戦略会議。
コレは非常に重要だったが、自分の中で人を育てるという
重たいタスクを受け入れる、それをやっていこうと
宣言する、そんな気分。少しずつでいいので、
できることから仕掛けていこうと思っている、

不思議で面白い人たち。
この言葉は面白い。なんかぴったりじゃないけど、
でも、うまくまとまっているような気がする。
人は不思議とか謎とか、そういった部分がないと
面白くないような気がする。

人を育てるには仕事をどんどん振っていくのが大事。
どんどんやっていってもらおう。

日常の話


女性の白バイが二台過ぎ去っていく。
白バイのデカさもあるが、それに華奢に見える体が
美しく見える。もちろん、捕まりたくはないけれど。
日常に見える何かが美し見えたり、
その一瞬が良かったりと色々と。

素敵な違和感、みたいなものを大切にしていくことがいいのだと思う。


ご理解とご協力の違い。
例えば、理解をして欲しいというのと、協力をして欲しいというのでは、大分意味が異なる。
理解とは、こちらにあるものに対して相手を引き寄せるというようなもので、
協力というものは、どちらかというと、理解以上にアクションを求めるというようなものの
気がしてくる。
で、その違いを感じるような言葉があったので、書いてみたり。


アウトプット

会議、または集合する中での慣れ。意見をいうべき時にいわないと終わってく。
後からというのはなしだ。それはスキルよりも経験値をあげようとしてるかどうかかなと。

なんていうか、その時に言わないとダメみたいなのは
失敗というか、ある種経験を積んでいかないとダメだろうなと。
というよりも、失敗しないと覚えられないというか。
まあ、それも個人の把握次第なのかもしれないけど。

アイデアのシャワーを浴びても人のアイデア実現、行動タスクがボトルネックになり、
実現ができないから、多くのアイデアは使われず消えて行く。この問題は解決できないから、
アイデアは幸となりえる。人に使われるアフォードを持っている。

つまりは、アイデアは情報レベルでたくさんあるから、それ自体は価値を見出さない。 

時代が求めてるものは、何か。
閉塞感を突破するものよりも、キッカケをくれるようなチャンスメーカーじゃないか?
人はキッカケを欲しがっていて、
それがあっても人は活かせないし、タイミングもあるので、飽和することはない。


アウトプット

ひたすらアウトプットをするのもよい。

プロセスデザイン。
過程を考える。構築する。密着する。
どうくくるかよりも、どういう道のりでいけるかが大事だったり。

引き出しへのしまい方

物理的なものを引き出しにしまうやり方がうまい人が、
頭のイメージ力があるかないかは分からないが、ほぼ比例しているかもしれない。

部屋が汚い人はやはり思考もちらかっているという考え方だが、
どこまで本当かは不明。ただ、色々な物事をきれいに整理しようとするコストは
あまりかけるべきではなく、それはものを使ったら片付けるという一つの行動に
全て込めていたほうがいい。
例えば、企画を思いついたら企画書をかき、実施したら報告書を書くなどは、
一つのやり方としてまとめておいたほうが面倒くさくなくていい。
まとめてやるのも一つの手だが、ためすぎて出来ないというのはしょんぼりである。

アイデアや考え、意見や見方にラベルをはり、
それをどこかで温存するつもりはないが、きっと勝手に保存されていく。

受け入れるとは、受け入れられないものは見ずに
まずは信頼して、受け入れた上で、受け入れられないものがあとでどうなるか
みたいな話になりそう。

ブレイクスルーまたは突き抜けている感覚まで
そこまで持っていけるか。スピードややり方、洗練された動き、ノウハウ。
アイデアが生まれる現場や瞬間にいるということがとても楽しい。
そして、それらを行えるものを、総称して企画タンクとかっこわるい命名だが
つけてみたいと思う。

深く潜る


深く考えることは、
水面に深く潜る、水中の底に行くのに似ている。
という、友人の言葉。
マンガのシーンでそういうのがあった。将棋か囲碁か忘れたが、
何かを考える、シミュレーションする、深く考える、一手先以上のことを考える。

僕の深く考えるイメージは、意外に比喩としてはあまり引き出しがない。
少なくとも、考えない状態は楽ではあるが、楽すぎて負荷がなく、
何もやっている気がしない。
という意味で、車のハンドルのアソビ的要素というか、なくてもいいというより、
あったほうがよさそうな感じで「思考」というものを捉えていたり。

自分の行動や自分のやる気、自分の力を全く信じない。
つまり、出てくるアウトプットこそが全てだ、みたいなことであって、
例えばそれは、調子が悪ければ調子が悪いものしか出てこない。
でも、それは調子が悪いからどうということを、あまり説明する必要がない。
人にはそれはほとんど分からず(分かってもあまり意味が無い。分かってしまう人もいるが)、
実際には、環境がどうという話をしたほうがいい。

環境が自分を人をどのようにさせてしまうかのほうが信じられる。
人は腐った環境でいれば腐りやすい。全部が腐るわけではない。
逆に良い環境でもそれを活かせずというのもある。
万能薬はないが、自分を信じるという意味では、確実に環境のほうが、
自分より信じやすいし、それくらい左右されるという意識が常にあるほうが
動きやすいのではないかと思ったりする。

小さな世界

例えばこうだ。

飲食店のアルバイトで学生、またはフリーターと呼ばれる人が入る。
仕事をすぐに覚えるが、覚えて慣れた頃にはやめていく。
また新しい人をいれる。長く続いてくれればいいが。
でも、また辞める。繰り返す。

これによって新しい血は入るけれど、
これで回るというのもどうなのかと。
それでいいならいいのかもしれないしというところ。

誰かにとって正解は、
別の人にとっては不正解にもなりえる。というか、ほぼそう。
もしなってないならそれに出会ってないだけで、
実は足下にそいつはいるのかもしれないな、なんて。

やり続ける力


やり続けること、
地味に企画をすること、
一つずつ丁寧にやること。

そういうことを続けること。
あきらめなければ未来は見える。

美術的な何か


検定講座で遊ぶ。
若干眠かったが、頑張る。とはいえ、一瞬意識飛んでたり。

印象派の名前の由来。嘲笑された名前だったというのは意外。
確かに時代を先行すると、叩かれるのはよくある。

作品自体のヒントは、ミステリーの謎を解くようなもの。
Despriction=記述する、かなで、そのままみたものを描く、説明するのは
難しい。例えば、ヒントとして十字架もってたらキリストとか。 アトリビュート、属性は
直訳だけど、あるとか。
写真や図説とかじゃなく、現物を観に行く、現地にいくのが大事。
確かに。でもそこまでフットワークになれないんだろうなあ。チャンスあれば見る程度で。

狩野永徳の絵が見たくなった。
ビビっている線から、ビビっている企画を思いつく。

気づく

正解はないのが基本ということを再認識出来るのは良い機会であり、
良い環境があるということを知る。

黒子だったり、人に影響を与える場合に、ポジションがどこかというのは
大分大事で、僕はどちらでもいいのだけど、なんか白鳥式が基本だし、
そういうのって膨大な背景の一部を切り取るのでもあるし、圧縮されているということでもあるので、
なかなか自分にぴったりくるのがいい。

自分が主役になるということの意味はほとんどない。
主役というのは、設定された枠組みで主役になっている時点で
すでに枠にハマっているとも言える。

グッと堪えることができること。
それは待つということでもある。

相互作用という常に変わるものが面白い。
やはりここだな。基本はと。

アウトプットー

まず、一週間が恐ろしく早いことがある。
月からスタートしているイメージだが、どちらかというと
動き出したーって感じの日が起点になる。曜日が世間ものさしでしかない。

そして同様に一日も早い。
そして、一ヶ月も早い。
1年も早くなるが、1年をしっかり振り返りたいがための
材料をしっかり作りたいというのもあるが、
ほぼ眼の前のことをしっかりやっていくこと、
そして、そこから遠くを見ていくこと。
現実の延長では全然ですなというのはあるけど、でも現実はやらないといけない。
そういった、葛藤的な何かが心地良い。

 世界はきっと美しいと思っている。
それは戦争だとか、事件とか、震災だとか、景気がどうとかではなく(景気って言葉死語ですね)、
なんていうか、未来イメージ、希望的なものがやはりあること、
それが美しい。そのために妙な思想があるのはあれだけどね。
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