それに加えて、本気と必然性、ハングリーを加えてみたい。
例えば、それをやらなくてもいいとか、やる理由がない(これはやらない理由を考えるのがうまい)というのもあるが、
そういったことはよくあることだ。
例えばこうだ。
「あなたはハイチへ支援をしなければならない」
といって、支援をする人は相当のお人好しだと思っている。
最も、これを上っ面だけひろって、支援者=偉いみたいなのはちょっとやめて欲しいし、
逆もある、つまり、別に支援をすることは偽善で、悪いとか、そういうことではない。
バランス感覚は皆持っているというような感じ、はあまり信じていない。
明らかに不器用な人はいるし、器用な人はそもそも「不器用」と認識する前にそれをこなしている。
つまり、全てにおいて絶対的に一歩速い。それは個々の小さな取り組みでは大したことがないが、
チリが積もれば・・・で考えると、一生追いつけない凄さでもある。
さて、点と線は、一般的には、点だけではだめで、線とする。線、面、そして立体、・・・というのが
論じられる。が、実際に点という意識でやる人がどこまでいるかということは
少し考えた方がいい気がしてきた。
つまり、自身またはメンバーとして、何かやっている(社会的でなくもいい、自身の外の話でもいい)人は、
それを「点」だと思っていないから、点になる可能性が高い。
つまり、客観視とかメタ的な捉え方の話で、そうなると、また抽象化の話になりそうだ(笑)
「今やってることって、点だよね」という意識で、点をやれる人は、
実は線になる可能性がある。
さて、そういう線とか点とかなんじゃらほいという人には
わかりやすく説明する気もないのだけど、そういうのは最近だけど「勉強してください」って
言葉が適用できることを覚えたり(笑)
で、点は単発で、線が持続みたいなのもありがちだけど、確かにそのとおりでもある。
最初に戻る。
そういったところで、必然性がまずある。
それを軸とか、やる気?とか、理由づけとか、理念とか、生きている理由にしちゃう人もいるし、
なんでもいい。何か「濃い」「おお?」と思わせるものに転化、ネーミング、または属性付け、
みたいな作業がいるみたいだ。
というのは、必然性というか、必要性。そういうものがなければ、
持続はない。持続とは、結構面白い言葉で、「できてないから持続している」というニュアンスもある。
つまり、成功=失敗をあきらめなければ、的な捉え方があるように、
それがあるということは、全てにおいてまだそれが必要とされるのであり・・・
という堂々巡りパタンになることもある。が、そういうのって結構適当に認知したりして終わっている。
次に本気。
これも必然性にもなるけど、本気というのがやる気とは違うという以上、ここらの説明は省くけど、
そもそもほとんどの人が「本気」になるだけの何かがないってことがある。
さらには、ハングリーとは、そうしなければ死んじゃうとか、追い込みみたいなものもないというか、
そういう感覚がある。
例えば、食えないからダメだとか、そういうことを考えていくと、
実際に追い込まれて動き始める。ニートでなく、自分が自分の手で何かやらんといかんぞ?みたいなことを
思う時、それを気づくといったりするのだけど、そうならない限り、
そもそも「どっかから、何かが、誰かが、制度が、外のものが、若い人が・・・」という話を
している時点で、アウトであり、NGだ。
そんなものは一杯あるから、大いにスルーしてもらいたいところ。
で、本物とかなんとかになってくわけだけど、
でも、そもそも色々な人、良いも悪いも、好きもうざったいも、含めて
失敗もそうだし、そういうことをしないと判断力というのは磨かれることはない。
だから、失敗をしてもいいといえるのだけど、失敗っていいものだと言い切れてしまうかも。
ふわっとしてそのままGoingOnみたいなだったら、
多分そのままでいいんじゃないかと思っている。
これは、あきらめではなく、尊厳だと思っているが、
どうもそういう理解をしてくれる人はなかなかいない。
どちらかといえば、それはあきらめで、自己完結みたいな感覚でとらえる人は多い。
理由は簡単で、そもそも今で、言い切れることを言っているのだから、
どうしてもそうなる。つまり完結系になるのだ。
そうじゃないと、お茶を濁すわけではないが、なんとも歯切れの悪い意見、または考えになる。
・可能性ベクトルの話
可能性ベクトルが小さいと、やれるものがやれないし、パワーも小さくなる。
つまり、可能性というものがビジョンなのか、なんだか分からないが、
ベクトルいう以上パワーがあるんじゃないかと思っている。
ボールを1つもってきて、それをどう使えるか。遊べるか。活用できるか。
座ってもいいし、投げてもいいし、転がしてもいいし・・・。
アイデア次第ってことになるんだけど、そういうアイデアって思いつきがないのでなく、
実行しないとダメなんだよなーとか思っていて、
事実、くだらないアイデアをくだらないねーと言われる前に、やった人が
全てにおいて可能性ベクトルやら、色々なパワーを持っているし、
また影響を及ぼせると思っている。
可能性というよりも、創造や発想などの力になっていくが、
そういうのって、資金x単発=ワッショイみたいなものと比較するしかないのだけど、
ものすごくコストかからずして、人材の育成から、そしてアイデアが実現できるなど
かなり色々なものができて、パワフルに出きていく気がしている。
規模という定量的なものより、やはり規模感、スケール感みたいな、定性的なものが
やっぱいいなあと思った。1億って単に「でかい」って気がするけど、
10回に分割すると、1000万。これでもデカイという人はいるけど、個人レベルで考えるから
そうなるだけで、会社にすれば大きな額とならないことのほうがいい。
会社とは、ここでは集団であり、また社会といってもいい。それくらいの人の密度のパターンを
指しているだけ。
継続して出来るということは、規模でなく、最初に「規模感」みたいな、
つまり、感覚やセンスがそこにある必要があるのではないかと。
この議論はつねに、鶏と卵の話っぽい尾ひれ?がついちゃうのだけど、
でも、規模がないと動かないというのは、ならば規模感があるみたいな、雰囲気を出すとか、
そういう見せ方、アレンジみたいなことは大いに出来ると思えるし。
出きないならそもそも、規模があってもできないし、小規模でもできないんじゃないかと思う。
まあ、大体、口でいってる「だけ」の人は、口だけだから誰にも信用されないから
人はついてこないのだからいいのだけど。
って、このあたり、単純に学生の時に思っていたことがブラッシュアップ、現実度が増す、
または、洗練されているだけで、多少はあれど、ほとんど考えとして変わっていないなあと思ったりする。
P1~P100というPは全て違う人の100人よりも、
P1~P10というPが10人だけど、それらを10回かけて、100人というような
ユニークな10人を10回の方が、ユニークな100人より、面白いものを作れるという感覚がある。
ここには、「単純」に人の数、規模だけがあればいいやってことではなくて、
影響力とか、ものすごく伝えたいものがあるとか、そういう濃い人でないと、
そもそもインフルエンスする濃さが全然足りないという感じがする。
有名人でも、そのフィールドがあるわけで、
そこから外れたところで「著名」スキルは使えない。
だから、あえて違うところでやるみたいな人がいるわけなんだろうけど、
そういう?こういうパタンっていつまでたっても同じなような気がする。
なので、単純な真似とか色々あるだろうし、人を参考にして失敗するかもしれないけど、
どういう状態、環境にあろうが、やはりそれが悪いみたいなことになったら
元も子もないなあと思ってしまう。次の話、次ってものがなくなるからだと思う。
情報の省略=圧縮となるケースを発見。多分大したことではない。
例えば、A→B。B→C。C→Aというロジックがあるとする。もちろんあんまり
こんなモデル使わないけど。論理学の授業だけだろうか。
で、推測とかプライム効果?だっけ、じゃないけど、
そうなるとA→・・のくだりで、早押しクイズみたいに、何が来るか分かる。
人はその人の話をその瞬間で理解するのでなく、
自己の経験とか解釈でそれで理解しようとしている。
ので、発言になると、同じことを言っているようで違うみたいなことも
起こってくる。
そこで、A→というところで、Cということも導ける。
ので、Bを省略することもできる。
すると、実際はA→Cということもいってないのに、A→B→Cというパッケージが圧縮され、
A→だけで、すでに話が展開されるということ。
省略とは本来、それがないことをさすが、圧縮という感覚で、視点からいえば、
それを補える推測ができれば、想定ができれば、
結局、省略も圧縮となっていくという話。
見せることと商品を別にすることってどうなんだろうかと思っていて、
例えば、商品+パッケージとか、商品+広報とか、PRみたいな話。
実は、そもそも、売れる、とか買うとかって、商品+理由みたいなことは
耳タコになるほど、違う立場?から色々な人がいっている。
ので、じゃあ、そもそも商品に買う理由が包含されていないとか、
商品に広報力がないとかだったら、そもそもそれって商品じゃないじゃないって。
単なるモノだよねってことになりかねない。
で、これは別に商品=質+価格+満足感とか
そういう話じゃなくて、それを「見える」ようにするか。
見える化じゃなくて、何も知らない人が「商品」をみて
それをどう思うかという話でしかない。
そこで何も思えないならそこで終了。そんなものじゃないかと思うけど、
それを同じ言葉「売れない」という理由にすると、思考停止。
次のアクションにできないので使わない方がいいとは思ったりする。
「お前それできんの?」
みたいな現場?の確認みたいなことってある。
例えば、実際に「私はコンサルしています」とかいっても、
実際に「コンサル」をする場面になって、こうですよねーとか、
すぐ出てこなければかなり使えないというか、多分そこで終わりだから
何もいう必要がないけど。
アイデアで勝負というなら、アイデアが出てこなければいけない。
が、アイデアって出せっていわれて超人的に出てくるものでもなく、
形にしていく力をアイデア力といっている気はする。人により重視するところが
変わってくるし、味付けが変わってくるのだろうけど。
発想力とかって言葉もあるし。ひらめきとか。
お前それできんの?ってことは、多かれ少なかれ、毎日?はないにしても、
誰もが経験するようなことで、何が出きて出来ないか、
またはそれをしようとしているかしていないのかとか、
そういう確認みたいなことは絶対にあるなあと。
そこで出来るって言い切る=はったりも含めて、のは大事。
でも、そこで意外にだけど、
出来ないからバイバイってことってあんまりなくて、
出来るところでこういうところならできるよって踏ん張れる人が、
また学び、気付きをしていく気がする。
そういう区切り?ボーダー?または線、なんていえばいいかわからないけど、
見えない線、見えない判断、決断ラインで、線を引いて終わりーじゃなくて、
次があるとか、ここではこうでというような、
率直でかつ客観的な人を僕は信頼している。
逆にそうじゃない人は何をやっても、信頼が構築できないから、
次はないのだろうねって話。
ちなみに、お前それできんの?みたいなことがない人は、
自分がなめられことがない、とか、あと実力で望んだことがない、
感じがあるので、そういうことを言われることを「おすすめ」はしないけど、
自問自答してみる価値はあるかも。柄が良くない言葉ですが。