エネルギーって色々な意味があるが、
実際に運動する力、仕事量とかでもいいけど、
電気がつくにはそれ相応のエネルギーが必要。電池といってもいい。

30W生活、100W生活。
都市部では600Wくらいいるそうで。

すぐにはエネルギーをなくして生活ができるわけではない。
でも、自給するということが大事で、トライしてみると色々できる、らしい。

電気の使い方は、発電所から得られるもので使う。
というマインドセットがある場合、または原発以外の自然エネルギーで代替する場合、
それでも経済との連動で、あまり意味はない。
結局、電力会社が供給する以上、太陽光発電の電気は増減で購買されるので、
その購買したお金は、電気を受容する人々で分かち合う、つまり負担することになる。
あまり、良い仕組みとは思えないが、ただインフラ的にいえばまあ文句を言えない感じはする。

そこからマインドセット、考え方を外してみる。
すると、自給してある一定の容量なら自給できるし、暮らせるとする。
それなら、それでよく、無駄に電気を使う必要はない。肝は電気を否定してないということ。

生活コストというものを減らせる。また同時にゆとりや余裕、世界観、
先程かいた専門性や生きていくスキル、などかなりのものができると思ったりする。 

便利さみたいなものを少し捨てると、何かをたくさん得られるという言葉は感動モノかもしれない。
ここに気づける人は、若い人か、年配の人か両極端なのかもね。

お金をかけずにシゴトをする、シゴトをつくる。そこが大事。それはできる。
一杯あるのだから、落ち着いて探せばいい。そしてトライしてみること。

合理性より文化性。結局、経済的なもののものさしでやってる限り(全てを放棄せよとはいってない)、
なかなか文化性にいけないかも。あと、実践の中でみえるアイデアや工夫が楽しい。
勘所をみつけるには、継続してやっていくしかない。例えばここではプログラミングx心理講座、
的なものができそうだからやってみるといいかなと。2日くらいでできそう。

発明家というおいしいポジションはある種のシゴトを語っているが、
職業というよりは、藤村さんを語っている。やはりフリーで動く人は、
名前で語る必要があるなあと。つまり、肩書きはあまり意味がない。ただの入口であるなと。