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ReadMasterの軌跡

面白いことを仕掛ける。仕事を作る。ビジネスを作る。そんな日々から出てくるアウトプット蓄積場。

独り言

次のアクション


1月があっという間に終わった。
3月までこんな感じだと思う。毎年こんな感じだ。

今日もすぐに時間が経ったような気がする。
のんびりというよりも、時間の流れは止まらないイメージが一杯だ。

2月も一瞬で過ぎ去るだろうから、心して挑んでいく。
そして、最近のテーマは、個人と会社の切り分けというか、
うまく個人と会社を分けていく。形式化というか、
形とイメージを、つまりは、目に見えるものと、目に見えないものを
うまく 落としこんでいくといったほうがいいだろうか。

具体的には、個人ブログサイトを立ち上げ、
そちらに仕事などを提示。またサービスを実施。
そして、会社サイトやサービスはそちらはそちらで管理実施。

ポートフォリオとしては完璧なイメージ。


断る力

断るって何だろうと思っていて、
それはある程度を捨てることでもあり、傷みも生じる。あ、痛みか。

関係性とは、何だろうか。
痛みをどう捉えるかで、実際に価格が安ければいいという人は
やはりやすいものに価値を覚えるから、そういう人は価値の転換が
分からないとお付き合いが出来ないかもしれない。それはあるような気がする。

言えないけど書けるみたいなことがある。
それはイベント設計において、人に対する配慮だと思う。あまり深い意味はない。
書くことでまとめることと、理屈やロジカルは似てる。
例えば、発言をまとめて出来ないということは、書けないということと同義でもあったりしやすい。
言えるけど書けない人はいても、大体発言はまとまってないということが多い。

専門家、または何かに特化しないほうがいいということはある。
ひろく視えないことになるからだ。だが、見える部分を最大化しないと視えないこともある。
そこが難しいところでもある。

優等生で、真面目、社会に従順、物語として出来過ぎていることにたいして
あまり魅力を感じない。多少のひねくれはあるが、人間そんなものだと思う。
まっとうな人はおそらく大体ひねくれて見える。

褒めあうのは大事だが、悪いこととか直したことを言えないということは、
それはそれで高めあう関係にもっていけないかもしれない。
例えばそれは無自覚でも、無意識でも、ぬるま湯にならない、
そういうのがあれば別だが、なければ泥船で沈んでいくことになりがち。

今やっていないことをやるのは難しい。
決意はその証明。決意した、またはそれから決意し続けるのは難易度が高い。
そして、体が動いているようにしなければ、いきなり運動をすれば怪我をする。
体を温めるプロセスやタスクを見ていないとやれることもできない。

勉強するという形式にとらわれると多分座学と教科書みたいになる。
人に聴きこむとか、実際にやってみるとか、そういう選択肢があるかないかで
全然違ってくる。で、勉強は大事だと思う。

がしがしまとめられるものを整理してしまうー。

エネルギーシフト

エネルギーって色々な意味があるが、
実際に運動する力、仕事量とかでもいいけど、
電気がつくにはそれ相応のエネルギーが必要。電池といってもいい。

30W生活、100W生活。
都市部では600Wくらいいるそうで。

すぐにはエネルギーをなくして生活ができるわけではない。
でも、自給するということが大事で、トライしてみると色々できる、らしい。

電気の使い方は、発電所から得られるもので使う。
というマインドセットがある場合、または原発以外の自然エネルギーで代替する場合、
それでも経済との連動で、あまり意味はない。
結局、電力会社が供給する以上、太陽光発電の電気は増減で購買されるので、
その購買したお金は、電気を受容する人々で分かち合う、つまり負担することになる。
あまり、良い仕組みとは思えないが、ただインフラ的にいえばまあ文句を言えない感じはする。

そこからマインドセット、考え方を外してみる。
すると、自給してある一定の容量なら自給できるし、暮らせるとする。
それなら、それでよく、無駄に電気を使う必要はない。肝は電気を否定してないということ。

生活コストというものを減らせる。また同時にゆとりや余裕、世界観、
先程かいた専門性や生きていくスキル、などかなりのものができると思ったりする。 

便利さみたいなものを少し捨てると、何かをたくさん得られるという言葉は感動モノかもしれない。
ここに気づける人は、若い人か、年配の人か両極端なのかもね。

お金をかけずにシゴトをする、シゴトをつくる。そこが大事。それはできる。
一杯あるのだから、落ち着いて探せばいい。そしてトライしてみること。

合理性より文化性。結局、経済的なもののものさしでやってる限り(全てを放棄せよとはいってない)、
なかなか文化性にいけないかも。あと、実践の中でみえるアイデアや工夫が楽しい。
勘所をみつけるには、継続してやっていくしかない。例えばここではプログラミングx心理講座、
的なものができそうだからやってみるといいかなと。2日くらいでできそう。

発明家というおいしいポジションはある種のシゴトを語っているが、
職業というよりは、藤村さんを語っている。やはりフリーで動く人は、
名前で語る必要があるなあと。つまり、肩書きはあまり意味がない。ただの入口であるなと。

考える、潜る、思考する、浮上する、自分の心配をしない。

自分の心配をする・・・ことがなくなってきた。
もちろん、余裕があるわけでもなんでもないが、
結局心配をするみたいな心のベクトル?は、
常にあるし、集中しても、何かしても一瞬は消えるが、
結局消えることがない。一生付き合っていく心理状態としてのパートナーと
言えるかも知れない。

あまり先のことを考えると動けなくなるとか、
明日のことは分からないみたいな考えが好きだ。
でも、目標を立てて動くこともないと動けないというのも分かる。
そこで、折衷したアイデア。ぼちぼちの目標、たまに厳しく、たまにゆるく。

人の逆のベクトル、点を設置して、相手を弛緩する。
緩める人。というのはいいかもしれない。ガチガチに緊張していては
良いパフォーマンスもなかなか発揮できないから。

より流動的に、形があるかないか分からないぐらいで、
流れに身を任せているように、流れをコントロールしているように、
ほぼ同時にどちらか分からないぐらいで動く。のがいいかなと。

生活のちまちましたものが、とても良いのではないかと思うのと同時に、
そこでの専門性ではない、専門性を僕は得たいのではないかと思った。
そこは非常にパワフルで、温かい、そして刺激的な領域ではないかと思う。

それは、言葉であり、人であり、場であり、ロジックであり、
社会であり、アイデアであるといっていい。ここはもう確実に射程距離。
あとはこれらをしっかりとこつこつとやっていくだけで、
あまりここに苦労とか変な言葉はついてこない。好きだし、楽しいし、やる。
という肯定の言葉で語ることが素直にできる。
 
高解像度のレンズを手に入れた時、物事が区別がつく、分かるという状態になる。
これはこうでああでというように、一般的に他人が見た時に分からないことが
分かる。気づくことができる。

時間の流れが異なるか。

例えば、名古屋と東京でマクドナルドにいる時間は、
同じ1時間であるが、当然、遠方に出かけているという意味で、
東京のほうが慌ただしく感じやすい。

しかし、感覚の問題で絶対的な時間の進みなどは一緒と考えて良い。

充実していれば時間の流れは早くなる。
逆もまたしかり。

冷静に考えれば、これが逆にもなる。
つまり、東京の人が名古屋に来てということだ。

そして、ここから次のステップへ。

つまり、東京に住めばそこが日常化して、慣れる。
人も、情報も、やり方?もそんな感じで。

日常化すれば、憧れや期待は溶け込み、
例えば、ぼーと過ごすことも可能だし、そういったことをしている。
考える時間が田舎にはあって、都会にはないということもない。
時間の使い方は、環境に規定される、ならば、それを作り出せばいい。
引きこもるのもいいが、田舎で引きこもりはなくて、単に娯楽がないからだろう。
馬鹿にしているのではない。

都会の機能は情報や娯楽などの集中、蓄積、便利などがあり、
そこにいるということは、ある種社交であって、何か夢や希望、
こういうことをしたい、人とつながる、何かしたい、店をやりたい、
そういったものがあっての前提ではないかと思う。

暗にそれがあるから、東京へいきたい、都会へいきたい、
そうなるのではないかと。

だからこそ、人口比では数倍5倍はあるところでは、
5倍の単価になるか、または5倍の人件費、5倍のコストになるか。
いや、そこまではなってない。

なぜなら人口に比例した、店の数、人の数がいるので、
結局、マクドナルドの数は2倍3倍くらいあっても、働く人は2倍3倍で、
利用する人も2倍3倍であって、というだけで良い感じの数値で
キリがつくのだろうと。経済的に考えれば。

でも、心理的には、人が多いと、どこにいても、誰かがいるというような
妙な感覚に陥る。

環境が時間を規定するなら、この物理的な数値よりも、
実際に感じる主観、心理的な面、集団や他の人との兼ね合いのほうが
重要な気がしてくる。

まあ、分からないなりに考えてみた結果がこんな感じであるわけで。

色々重ねていく


何度も思うけれど整理しつつ。

企画、プロジェクト、掛け算。
ネタ、アウトプットを収集して、どんどんスパイラルのように
発展していく。

つまり、インプットを何度もアウトプットできるし、
アウトプットからインプットというような流れ。

とにかくそこらへんは楽しい。

染まる。アウェイ。

あまりまとまってはいないが・・・色々と。

まず、染まるについて。
どうしても、慣れてくると雑になったり、省略があったりする。
問題はそこではなく、何を生産しているかとか、何を影響させているかみたいな
そんなことじゃないかと思ったりする。

存在、自分の存在がとても小さいことを感じている。
無力感というのは文字通り無力であることを感じることだが、
それは何かやってやろうというモチベーションでもあるので、
ちょっと違うのではないかと思ったりする。
つまり、力不足を感じて俄然高まるやる気、といったほうがいいだろう。

やれていないことが多すぎるので、やれていることややったことに対する
興味が薄い。どちらかというと、編集素材としての、やったことでしかない。
色々な可能性はあるけど、制約も出てくるし、ここのさじ加減が面白いところだ。

動くこと

閾値の低さは、飛び込んでみるというところから生まれる可能性あり。
飛び込んで自分で編集する、構築する、そこから生まれてくるのは、
簡単なことで動じないというよりも、少しの成長も楽しめるという閾値の低さ。

壁を超える

壁を超えるとは、
ジャンルとか既にある決まったフォーム。
そんなものをぶっ壊していく、壊すという感じじゃなくてもいい。
とにかく現状のままではいないという感じか。

世の中を良くすることが当たり前だと言い切れるのは素晴らしく、
全く同感だが、どうもそういうように考える人も少なく。
とはいえ、ここで止まっていて、何もせずにいてはイラっとするので、
少しずつ変えていくしかないのではないかなと。


そもそも物事はできないのが前提というのは
何か教える側のスタンスとしてはいいですね。
できて当たり前だと、出来ないと起こるし、できても普通ですしね。

相補性。それを補うかのように、ピーズや部分が動くこと。
つまり、全体で考えれば社会がそのように動く。環境構築とは変化をさせて、
追い込んでいくということでもある。

考え方を変えるよりも、行動を変えるというコストのほうが圧倒的に低い。
とはいえ、行動を変える、それが自発性だとなかなかきついけれど。

アウトプット


11/13

大阪行きの電車にて。
体調はあまりよくないが、寝まくってそこそこ取り戻す。
まあ、多分今日は大丈夫だろう。

それよりも、最近をまとめよう。
色々なことがあって、ほぼゆっくりしてる感じのものは
消えていってしまっている。それほど忙しいとは思わないけど、
タスク漏れしそうなフンイキも常にある。

戦略会議。
コレは非常に重要だったが、自分の中で人を育てるという
重たいタスクを受け入れる、それをやっていこうと
宣言する、そんな気分。少しずつでいいので、
できることから仕掛けていこうと思っている、

不思議で面白い人たち。
この言葉は面白い。なんかぴったりじゃないけど、
でも、うまくまとまっているような気がする。
人は不思議とか謎とか、そういった部分がないと
面白くないような気がする。

人を育てるには仕事をどんどん振っていくのが大事。
どんどんやっていってもらおう。

日常の話


女性の白バイが二台過ぎ去っていく。
白バイのデカさもあるが、それに華奢に見える体が
美しく見える。もちろん、捕まりたくはないけれど。
日常に見える何かが美し見えたり、
その一瞬が良かったりと色々と。

素敵な違和感、みたいなものを大切にしていくことがいいのだと思う。


ご理解とご協力の違い。
例えば、理解をして欲しいというのと、協力をして欲しいというのでは、大分意味が異なる。
理解とは、こちらにあるものに対して相手を引き寄せるというようなもので、
協力というものは、どちらかというと、理解以上にアクションを求めるというようなものの
気がしてくる。
で、その違いを感じるような言葉があったので、書いてみたり。


アウトプット

会議、または集合する中での慣れ。意見をいうべき時にいわないと終わってく。
後からというのはなしだ。それはスキルよりも経験値をあげようとしてるかどうかかなと。

なんていうか、その時に言わないとダメみたいなのは
失敗というか、ある種経験を積んでいかないとダメだろうなと。
というよりも、失敗しないと覚えられないというか。
まあ、それも個人の把握次第なのかもしれないけど。

アイデアのシャワーを浴びても人のアイデア実現、行動タスクがボトルネックになり、
実現ができないから、多くのアイデアは使われず消えて行く。この問題は解決できないから、
アイデアは幸となりえる。人に使われるアフォードを持っている。

つまりは、アイデアは情報レベルでたくさんあるから、それ自体は価値を見出さない。 

時代が求めてるものは、何か。
閉塞感を突破するものよりも、キッカケをくれるようなチャンスメーカーじゃないか?
人はキッカケを欲しがっていて、
それがあっても人は活かせないし、タイミングもあるので、飽和することはない。


アウトプット

ひたすらアウトプットをするのもよい。

プロセスデザイン。
過程を考える。構築する。密着する。
どうくくるかよりも、どういう道のりでいけるかが大事だったり。

引き出しへのしまい方

物理的なものを引き出しにしまうやり方がうまい人が、
頭のイメージ力があるかないかは分からないが、ほぼ比例しているかもしれない。

部屋が汚い人はやはり思考もちらかっているという考え方だが、
どこまで本当かは不明。ただ、色々な物事をきれいに整理しようとするコストは
あまりかけるべきではなく、それはものを使ったら片付けるという一つの行動に
全て込めていたほうがいい。
例えば、企画を思いついたら企画書をかき、実施したら報告書を書くなどは、
一つのやり方としてまとめておいたほうが面倒くさくなくていい。
まとめてやるのも一つの手だが、ためすぎて出来ないというのはしょんぼりである。

アイデアや考え、意見や見方にラベルをはり、
それをどこかで温存するつもりはないが、きっと勝手に保存されていく。

受け入れるとは、受け入れられないものは見ずに
まずは信頼して、受け入れた上で、受け入れられないものがあとでどうなるか
みたいな話になりそう。

ブレイクスルーまたは突き抜けている感覚まで
そこまで持っていけるか。スピードややり方、洗練された動き、ノウハウ。
アイデアが生まれる現場や瞬間にいるということがとても楽しい。
そして、それらを行えるものを、総称して企画タンクとかっこわるい命名だが
つけてみたいと思う。

深く潜る


深く考えることは、
水面に深く潜る、水中の底に行くのに似ている。
という、友人の言葉。
マンガのシーンでそういうのがあった。将棋か囲碁か忘れたが、
何かを考える、シミュレーションする、深く考える、一手先以上のことを考える。

僕の深く考えるイメージは、意外に比喩としてはあまり引き出しがない。
少なくとも、考えない状態は楽ではあるが、楽すぎて負荷がなく、
何もやっている気がしない。
という意味で、車のハンドルのアソビ的要素というか、なくてもいいというより、
あったほうがよさそうな感じで「思考」というものを捉えていたり。

自分の行動や自分のやる気、自分の力を全く信じない。
つまり、出てくるアウトプットこそが全てだ、みたいなことであって、
例えばそれは、調子が悪ければ調子が悪いものしか出てこない。
でも、それは調子が悪いからどうということを、あまり説明する必要がない。
人にはそれはほとんど分からず(分かってもあまり意味が無い。分かってしまう人もいるが)、
実際には、環境がどうという話をしたほうがいい。

環境が自分を人をどのようにさせてしまうかのほうが信じられる。
人は腐った環境でいれば腐りやすい。全部が腐るわけではない。
逆に良い環境でもそれを活かせずというのもある。
万能薬はないが、自分を信じるという意味では、確実に環境のほうが、
自分より信じやすいし、それくらい左右されるという意識が常にあるほうが
動きやすいのではないかと思ったりする。

小さな世界

例えばこうだ。

飲食店のアルバイトで学生、またはフリーターと呼ばれる人が入る。
仕事をすぐに覚えるが、覚えて慣れた頃にはやめていく。
また新しい人をいれる。長く続いてくれればいいが。
でも、また辞める。繰り返す。

これによって新しい血は入るけれど、
これで回るというのもどうなのかと。
それでいいならいいのかもしれないしというところ。

誰かにとって正解は、
別の人にとっては不正解にもなりえる。というか、ほぼそう。
もしなってないならそれに出会ってないだけで、
実は足下にそいつはいるのかもしれないな、なんて。

やり続ける力


やり続けること、
地味に企画をすること、
一つずつ丁寧にやること。

そういうことを続けること。
あきらめなければ未来は見える。

美術的な何か


検定講座で遊ぶ。
若干眠かったが、頑張る。とはいえ、一瞬意識飛んでたり。

印象派の名前の由来。嘲笑された名前だったというのは意外。
確かに時代を先行すると、叩かれるのはよくある。

作品自体のヒントは、ミステリーの謎を解くようなもの。
Despriction=記述する、かなで、そのままみたものを描く、説明するのは
難しい。例えば、ヒントとして十字架もってたらキリストとか。 アトリビュート、属性は
直訳だけど、あるとか。
写真や図説とかじゃなく、現物を観に行く、現地にいくのが大事。
確かに。でもそこまでフットワークになれないんだろうなあ。チャンスあれば見る程度で。

狩野永徳の絵が見たくなった。
ビビっている線から、ビビっている企画を思いつく。

気づく

正解はないのが基本ということを再認識出来るのは良い機会であり、
良い環境があるということを知る。

黒子だったり、人に影響を与える場合に、ポジションがどこかというのは
大分大事で、僕はどちらでもいいのだけど、なんか白鳥式が基本だし、
そういうのって膨大な背景の一部を切り取るのでもあるし、圧縮されているということでもあるので、
なかなか自分にぴったりくるのがいい。

自分が主役になるということの意味はほとんどない。
主役というのは、設定された枠組みで主役になっている時点で
すでに枠にハマっているとも言える。

グッと堪えることができること。
それは待つということでもある。

相互作用という常に変わるものが面白い。
やはりここだな。基本はと。

アウトプットー

まず、一週間が恐ろしく早いことがある。
月からスタートしているイメージだが、どちらかというと
動き出したーって感じの日が起点になる。曜日が世間ものさしでしかない。

そして同様に一日も早い。
そして、一ヶ月も早い。
1年も早くなるが、1年をしっかり振り返りたいがための
材料をしっかり作りたいというのもあるが、
ほぼ眼の前のことをしっかりやっていくこと、
そして、そこから遠くを見ていくこと。
現実の延長では全然ですなというのはあるけど、でも現実はやらないといけない。
そういった、葛藤的な何かが心地良い。

 世界はきっと美しいと思っている。
それは戦争だとか、事件とか、震災だとか、景気がどうとかではなく(景気って言葉死語ですね)、
なんていうか、未来イメージ、希望的なものがやはりあること、
それが美しい。そのために妙な思想があるのはあれだけどね。

アウトプット2


色々な心配などがある中、
さて、自分のことが最も心配、または不安であるはずだが、
それを棚にあげて、人の心配をする人がいる。

不安の共有というのは基本的に好きではない。
理由は、不安を共有しようという意図が、どうもなあと。
もちろん不安です、助けて欲しいとか、そういったことはある。
でも、共有はポジティブなことをまずは共有していって、
そこから不安があればそれをってことで、不安そのものを
ある意味共有する作業はなんとも。

実際に一言でいえば、
自分のことをやってからあとはなんとでも言ってくれということになるが、
どうも順序を間違えてしまう人もいるわけで。

自己のリスク、成り行きでいくとどうなるかなどが、
見えないということもある。

チャレンジが不足しているとか、努力的なものとかフットワークが少ない中で、
得られる成果というのはやはり大したことがない。
というか、自分でそれを調整しているというのが実際にはある。
そのコントロールがどうであれ、それに応じたものが得られる。
非常にわかりやすい。だから、何も言い訳が出来ない。

アウトプット

まずは、妄想を事業にするという視点。大事。
妄想というか思考とかアイデアっていうだけで意味が違ってきこえるのが不思議。

マネ出来る企画とマネしたくなる企画は違うけど、
思いついたモノをどうするか。また違ってくるんだろうなあと。
でも、これはマネ度という指標で色々言えそう。

コミュニティ難民。
たくさんのコミュニティや所属がある中、そういったものになかなか所属できなかったり、
または所属してない人みたいなイメージですね。

大きなイメージをもったとしても、目の前のことをやると一気に近視眼的になったりする。
それはなぜか。なかなか難しいが、目の前のことや見えるものってその情報量の多さに
圧倒されてしまうのではないかなと思ったりする。

個と孤の違いが分からないということ。
孤独と個人は別なのだけど、個を孤とみたり、孤を個と見たりしてしまうのかなと思ったり。

ものは永遠的で、ことは時間が含まれるから、つまり有限。
もちろん、もっと尺度を長くすれば両方同じようなものだけど、
少なくともあるライブイベントはことであって、ものではない。短い時間で終わる。
脳内に残る記憶はあれどそれはそれである。


時代をサバイバルする

全くヤル気が無いときもあるが、
そもそも生きるのにはエネルギーがいる。
面白いかどうかの評価は実は最終的で良かったりする。
が、でも面白くないものをあえてやろうという人はいなかったりする。

何かの視点を入れた時、
また物とか人とか関わり方が変わってくる。
そういったものが大事なように感じる。

それが何か、経験なのか、新しい気づきなのか、
無理してやったことなのか、やらされたことなのか。
哲学なのか、本なのか、遊びなのか、意味不明な出来事か。色々。


アウトプット2

会計士は現実的。
ということに気づいたというか、往々にして現実的に
考えていて、そこでは現実世界で完結している。
悪く言えば伸び代は低いが、そういうところでの実務処理に汗を流したい人がいて
その人が満足ならそれでいいのではないかと。

 PPMを改良。
ポテンシャルとフットワークを図解して、説明。
これでダイナミックさやオープン性、そして、ポジティブなフィードバックが
できるようになっていくかなと。

まだまだ


シャワーの後の扇風機が気持ちよすぎる。

目的は、
可視化、人持ちの力を最適化、最大化する、何かをもらっていく。 

日中とか、動けないとそもそもできないしくみとか
やっぱ違うね。自分はその中に入れてないけど。

メタファーとして、
メモリとハードディスク、直観とロジック
は大事。メモリはやっぱ直観的、反射的、脊髄反応的であるが、
ハードディスはロジカル、整理、デフラグな感じ。

立場の転換、視点の移動とか、
難しいなら、やっぱ動いてカバーするしかないかなと。

できる達成感を拡大してくとかはプロセスというか、
ステップ的に結構好きかな。徐々に大きくしていけばいいだけだから。

110%という設定で動くと、動きやすいかも。
ちょい先の設定で動く。

自分があってることより、自分が間違ってることを確認してそこから、動く。目線が下がる。
これはネガをポジティブなシナリオの一つとして把握して、そこから進むということ。
ぐっと上ばっか見てた人が、下をみてからさらに見回すことができたり。 

さよならの数だけ強くなれるが、強くなりたくない人はこのメッセージを無視する
そもそも、苦しい経験を減らそうとするからね。 

ある種のたのしさみたいなものが、どんどん生まれるしくみを回す。仕組みはまわしてナンボ。
愉しさ=自家発電ポイントはどこで設定するか。それかな。 

フットワークとポテンシャルでどこまでいけるか。無理はしないが無茶はする。
やってみせよう。どこまでも。要はトレーニング。数。数稽古。
 
日常に負荷をかけて自分を鍛える。人がどうでなく、自分に負荷かけて鍛えていく。
そうすれば、鍛えられるということで。
 
良いチームをつくることが、社会に対して良い影響を作る実施主体となるのでは?
チームづくりから見えてくるものが大いにのでは。 
これは大きな発想ポイント。視点をチーム作りに持っていくことで、
より大きな影響を与える事ができたりする。

 

アウトプット

暑い夏が続いている・・・。30度超えてくるともう大変ね。毎日だけど。

さて、ワークライフバランスとか。
この言葉を使った人はいいとして、使われ方のシーンがしょぼいというか、
あまり現実的ではない感じがある。つまりこなれない、ノットクールな感じ。
使わないけど。

仕事に対してバランスを取るとか、生活を充実させるとか。
そういうことって多分やったほうがいい。定期的に。でも、やらない人多いかな。

直観を磨いておかないと、おそらく判断が低下してしまって、
判断レベルがまずくなる。きちんと判断できないかなと。

ものさしがたくさんある方がいい。
でも、ものさしがひとつだけで生きたい人はいるんだろうかと。

働くのが嫌なのはどうだろう。共通理念にはなりそうにもないか。

アートで動ける部分、動きたい部分、企画屋としてのポジ。

 三年後を考える必要が出てきている。
この作業はしんどいというよりも、大好きな感じ。

アウトプットー

色々。

まず、人間関係について困ることはほとんどないけど、
苦手な人とかが一定数または一定の割合でいることはそういうものだと
思って受け入れたほうがいい。現実は受け入れた方が楽しい。
が、多数で迎合するとか、自分の考えを曲げるとかはあまりしないほうがいい。
そのギリギリのところ、難しいね。

人間関係が出来てない中でのフットワークを活用した動きは
難しさがある。あなたは答えてくれるかどうか、質問でも、パスでもいい。
応じたやりとりでありコミュニケーションがなかなか難しい。

単純に圧倒的な実績みたいなものが、
何かを支えているだけではないかなーとか思ったりする。

ここらへんまだまだだなあと思いながらも少しずつビジネスレベルを
あげていくしかない。ここは我慢していくところー。

色々ー

理解と納得。
例えば、知っているだけは理解。
例えば、説明できるというのが納得。

アウトプットということが出来る状態は納得。
理解では、インプットのみでそこからは進まない。

状況や相手、立場を理解するのは、
質問、現状把握、主観の世界にワードを取り込むこと、
それらのやり方が必要になってくる。

サバイバルということがあって、
それは生き残る。ただそれだけで。
時代は閉塞感があるのかもしれない。少なくとも、
開放的という感覚が大勢ではない。
そこで生き残ると同時に、さらに仕掛けをしていく。
経験すればすなわち実績。たくさんの仕事をして、経験を積んでいく。
成長よりも、進化。パスの仕方も精度をあげていけばいい。
その前に、まずはパスをするということが大事。

量が足りないということは、質に変換できないということにもなる。
これらは達成感となっていって、必ず自分の糧になる。

ポテンシャルループを作る。
人に仕掛ける、人に会う、そして励ます。

励ますのが大事なような気がする。
励ますことってなかなか自分の世界にいるだけでは出来ないので。

メモ


最近いった秘密イベントのネタを。
秘密ではないけど。

ルームシェアに関しては、匂い、音、見た目のうち
気にならない点を共有できる人が良いとのこと。
それは一理ある。面白い視点。
ところで、シェアもいつまでやるかってのは結構課題。
まあ若いうちだけといえばそうなるなあと。

金閣寺の解釈。
付与の生から未聞の生。
確かに毎日が違ってくるというのは、後者。
安定からは何も生まれないはず、と思っている。
金閣寺を読んでみたくなるわけで。

ゲイについて。
気づきは大きい。 個人的にはセックスやジェンダーよりも、
セクシャリティという性の嗜好が大きいのだろうと思ったりする。

社会への違和感がこのように出てくる時、
またたくさんの気づきが生まれるのかなーと。

到着点を提示せよ

と、いわれて提示できるわけではなく。
というか、提示したいのかどうかというか。

 到着点が提示されることで、
何が起きるか。自分の現在が変わるかもしれないし、
変わらないかもしれない。わからない。

ただ、やっていたらいつの間にかハッピーで、
幸せでって感じのイメージはない。
苦難、試練、困難を楽しみと感じて、チャンスきたー。ピンチきたー。
という感じで楽しみたい限り。

コストとリターン

リスクとリターンというものではなく、
コストとリターンという感じで。

教育コストとは、その時には見合うリターンは回収できない。
コストがあって時差があって、成長したところでやっと見合う。

人の成長が瞬間的に分かればいいがそういうものではない。
だからこそ、数値化や見える化をしたほうがいいが、
なかなかできるものではない。

自分の状態を明確に、または大体定義できないと、
そもそも成長したかどうかを判定できない。
「成長できた」という言葉を安易に口にしている人は成長の閾値が低いか、
それとも、成長という口癖か、それとも成長をあまりできないかーという形になる。
理想は閾値が低いことかなと。

仕事が楽しいものとして定義されているのではなく、
楽しいものとして定義をしていくのが大事かなと。

そんな当たり前の気づきを。

ストレート勝負

野球なんかで、というと野球好きが怒るかもしれないが、
4番バッターを敬遠する戦術か、ストレート勝負みたいな魂かで
よく対立した構図がある。

この場合正解はないし、何も勝負に言えないのだけど、
前者が卑怯といわれ、後者が男だみたいな、いかにもそれが
当たり前ということには違和感を感じている。違和感を覚えるが正確か。

どちらも正しいというか、選んでいることに間違いはない。

こういった話は大体一本の傾向というのがある。
例えばこうだ。ストレート勝負こそ男だみたいな意見の人は、
それで打たれてしまった場合のリスクを考えてないケースが多い。
リスクというか見えないのかもしれない。目の前のことしか見えないということだ。

そのため、きちんと、「ストレート勝負」と「敬遠」を比較することが出来ない。
出来ないからどうこういうのではなく、出来ないことを把握した上での
プランニング、育成が大事になる。
おっと、ここではそういうファンがいてどうって話ではない。
あくまでそういう人をどうするかという話である。

もし、人を育てる必要もないし、人と関わる必要もない(乱暴だけど、人を育てるということは
どんな人にもありえる話で、それが仕事で部下育成なんていう分かりやすいケースだけじゃないのが
ポイントだと思う)人はスルーしてもらっても構わないものだろうけど。

打たれるリスクを考えた上での敬遠とは、
未来を考えていることでもある。敬遠がいいわるいということではない。

勝つとは何か。非常に難しい。

人は何か犠牲にしないとなにか得られないとは
こういう時に使って欲しいものだ。

小さく小さく

軽くアウトプット。

最近アウトプットが疎かになってる。

クラウドソーシングでかき集めたやり方って、
分散コンピューティング的な、一つの力は小さいけれど、
集まるとすごい性能になる的な考えと似ていて、とても面白い。

デモとか見える形。ほとんどの人は、見える形が好きというか、
それしか分かりづらい。だからポーズを取るって言葉が、死語になりえない。
学生運動とか、デモ。分かりやすいけど、それはポーズであって、
本質ではない。本質とは、それをすることで狙う意図が達成されること。
その手段としての見える形としてないと、きっと本末転倒になる。

これについては、結局時代は変われど、一緒かもしれない。
きっと一緒じゃないか、繰り返しているのではないかと思ったら
きっとまた違った見方をすることができる。

自分のやり方はこうだ、このようにするというのは、
説明しているようで実はしてないという一種の説明するポーズとか
言い訳に思えることがある。
説明しているようでしてないというのは結構厄介だ。
例えば、説明した人は説明したというが、説明された側は伝わってないと、
説明が分かってないことになり、何も進まない。

説明もコミュニケーションなので、相手に分かるようにいうという前提とか
ルールがあるような気がする。戦争にもルールがあると知って驚いた感じと似ている。

説明されたものが実は全く非効率だったり、全く見当はずれだったとしたら、
自分は別のやり方や違うやり方を考えてしまう性分的なものもある。

抽象は具体の中にある。

抽象という中心円に具体という外部円があるイメージ。

それはどちらからもいえる。具体あっての抽象も、抽象あっての具体も。

どちらか大事ということはない。両立性、両義性、同時性がある。

具体性は分かるけども、それだけで終わる。対症療法的になる。それは悪くないこともある。
抽象性は分かりづらいけど、そこにたどり着く味わいとか、それを他に展開もできる。情報量が少ない。

ここからアイデアのメタ化とかにどうしても自分が行きやすいというか発想の癖があることに気づく。
つまり一つ上の見方から、具体的なものまでそれはここって基準があったとしても、
ここ、一つ上、一つ下で一気にパタンが3つもできる。素晴らしい。

なんてメモ。

さらに付加。
よく、抽象は具体の反対と言われるが、まあそれはそれでいいとして、
でも、実際のイメージは、反対だから同じ概念が、同じようにフラットに存在しているとか、
対等にあるとかそういうことではなくて、

抽象って小さいけど、濃厚なエキスがあって、
その周りに、具体という薄いけど大きいエリアがある。

多くの人は、具体が分かりやすいし、自分もそうだけど、
そこから入る。でも、実際にその本質、一言で言い切れるようなものは、
抽象的なもの。でも、表現においては、抽象ではダメだから、
具体+抽象みたいなものがいい。具体だけでは枝葉になる。

具体が枝葉でなくなるのは、抽象というところから、
どんどんアイデアがでる状態でなければなりようがないというか、
やりようがないという感じ。

この気づきを得たので、抽象ってやっぱ単に帰納的な結果でも、
演繹的なルールでもないかなと思ったところが収穫あり。

表現力の問題

問題というよりも、限界といったほうがしっくりくる。
例えば、何かを伝えたい時、高度ではないんだけど、
その言葉で伝えると問題になるというか、うまく伝わらないことがある。

その場合は行動をしたりして見せていくしかなく、
また誤解も含めて、その理解をフォローしていく・・・しかないという話。

表現力にも方向性がある。
例えば、1つは、それをさらに深めていくこと。
つまり、表現をさらに高めるので、表現というところがとんがってきて、
「え、それで表現するの?」みたいなところ。

もう1つは、言葉とか普遍的なもので、
その伝わり方を工夫するもの。
一般的にはこっちのほうが「表現力」と呼ばれやすいし、そう認識されている。

ただ、表現力を高めたところで、伝わらない人には伝わらないので、
表現を磨きつつも、相手の立場にたって考えることが大事かなと。

表現力が問題になるからそこで諦めることはせず、
じっくりつきあっていくことが大事かなと。

使えるなりたい自分になる方法

とはいえ、聴いた話をうまくまとめるついでに。
まず、成功哲学的な、ナポヒルとか、そういうのもありつつ。
とりあえず、ヒットしたところ、自分が考えたことをメモということで。
自分が思ったことをメモする。

天才と凡人の違い、それは努力。
成功は右肩上がりではない。
1万時間程度、つまり日数でいえば、1日8時間で、1ヶ月20日でも、160時間、1年だと12倍で、1840時間。
単純にこれで、約6年くらい。の時間は必要。
でも、本当にやりたいとか、好きならもっとできそう。
また、1万時間やるから成功するというよりも、1万時間できてしまうものだから
やりたいものということになる。

千本ノック的な印象。面白い。
無意識で動くレベルだろう=やりたいkと。
一気にやると失敗する。


自分のやりたいことを補強する

やりたいことがあって、それは脳内のイメージ。
アイデアでもいいし、忘れてたことでもいい。

それを何かの話で思い出して、そうそう、おれはこれがやりたかったんだ、
これやっぱやりたいな、やろう。みたいな
補強をしていることが多い気がした。

で、この発想にはいくつか視点が必要ではないかと思った。

1)アイデアを大事にすること
そもそも、ボツったものは永久に終わりってことはない。
思考の癖とか、タイミング、人との話、そこで出てくるものは結構無限。
だから、その時を、アイデアに対する一期一会的な、感じで構えてないと
どうも、思い出して補強とか出来ない。

2)勝手にこじつける
大体人のいうことは真逆にも取れる。というか、どんなものでもとれる。
犬が嫌いなのに、犬の話をされれば、こいつは嫌いなことをするやつかとも取れる。
解釈は自由。

3)人は忘れるし、テンションは低くなる
こういう怠けるというか、楽したくなる属性は
誰にでもあるものだから、自分も特別ではないというところ。
あとマッチョな感じではないよね、というところでコミットしておくといい。

で、そうやって補強されたアイデアが、
またやりたくなる。そうやって、多くの企画が形になっていくと思う。

システム化

結局システム化、仕組化しないと、
色々なものが動き始めないような気がする。

というかやれないので。

いかにやりたいこととか、
うまく自分システムの中に取りこめるか。

これをやる、あれをやる。
やる気でないことも、仕組みにいれて、
こういうときはこうする。

それはライフハックのように聞こえるかもしれないが、
どちらかというと、ライフハックはそこしかみてないので、
全体とかはみえてない。

仕組化とは、例えばさぼることもよし、となるし、
さぼった分だけ仕組みが発動するみたいな話でもある。

エクセル小ネタ

珍しいトピックですが。
備忘録です。
どこかのサイトにあったのですが、いつも式を忘れるので。
テキストにメモしてたり。

1. 色をつける範囲を選択し、[書式]-[条件付き書式]を開きます。

2. [条件]の左側のボックスで『数式が』を選択し、右側のボックスに『=MOD(ROW(),2)=0』と入力します。
これにより表の偶数行を指定することができます。奇数行を指定するときには『=MOD(ROW(),2)=1』と入力します。

3. [書式]ボタンをクリックし[セルの書式設定]で[パターン]タブを開き、[パターン]ウインドウで色を選択します。

4. [OK]で[セルの書式設定]を閉じます。

1の条件付き書式は覚えてる。でも、条件付き書式ってネーミング悪い気がする。
なんていうか、すっと入ってこない。が、代替案はない(笑)

2の式を忘れる。忘れないポイントとしては、ROW()で行(縦方向)なんだけど、
それを忘れてしまう。
が、COLUMN()をつかえば、Cが3で返ってくるので、こちらは列を参照する。
ってことで覚えました。

MODは、除算の余りですね。だから、奇数行は1あまるから、好みですが、
奇数行指定か偶数行指定か、もちろん間違えても1か0にするだけですが。
スタートは1行目、つまり奇数行だから、最初の行からやるか次の行から
色つけたいかですね。

3,4は普通なので、OK。

覚えたページの辞書を食べるみたいなことやってますね。

知らない強さ

知らないからこそ戦えるということがある。やれるということがある。
それは知っていても戦えないことに対するアンチテーゼ的な。

知っているから戦わないといってもいいこともある。これは少し賢い。

でも、戦うといってる時点で負けで、
戦わずして勝つのが自分かなと思ったり。

もちろん、自分とのバトルに逃げまくるってのも一興ですが、
大体において自分と向きあっただけ返ってくること多いみたい。


つまり、言葉である。

言葉を書こう。
たくさんの言葉を、書いていこう。
届け、この思い。届け、この言葉。

言葉は何にのって伝わるんだろう。
きっと、電波みたいなものかもしれない。ラジオみたいに。

たくさんの言葉は出されては消えていく。
その表現に対してどう思うかを考えたりする人って
やっぱ大事。でも、それは黒子的で忘れがちでもある。

言葉に戻ってきた気がする。
違う視点から言葉をみたい。

言葉の世界で溺れたいなんて思ったことはほとんどない。
気持ちいいは長続きしないと知っているから。
ストイックなのではないのだ。自分には甘さがあると信じているし、
無意識の甘さほど怖いものはないからだ。

言葉に尽くす。
それもまた一興。

今書いている意味

今書き続けるというか、
書く意味が全く意味があると思い出した。
全く意味があるのだ。全くである。

おそらく、また同じような状況だったり、突破したり、
考えたりすることがあるかもしれないが、
そういった契機になってくる時期だと思う。

少なくとも、話す人が変わっていくとか、そういう変化は好きだし、
自分の行動や発言が変わっていくというのが好きだ。
同じことを何度も繰り返さず、結局シンプルに貫く。
わからない人はわからないけども、残念だね、で終わることはせず、
伝えたいなら伝わるまで話せばいい。相手が拒否するならいいが、
こちらは常にオープン。この態度が嫌いな人はしょうがないが、
そこまでやり続けられるんじゃないかってことが大事。

そして飽きずにやり続けられるというのが大事で、
飽きてしまって、それで無理ですというのをさらにやれるか、
そしてそれでやりたいかというところ。苦しさが1%もない仕事はないし、
また自分も生きていて苦しいこともあるけど楽しいこととか、
何か「それいいな」って思える発見とかがあるから人生いいなって思える。
たぶんそういうことが大事だなと。それがあるからいいなと。
だから、そういう楽しみは作ればよく、苦しさはあえて作らなくてもいい。
苦しさは自動的にやってくるから、楽しみをどんどん作っておけばいい。
もちろん、苦しさを回避するとか、乗り越えるとか、楽しみにするとか、
そういう考え方とかやり方は大事だけど基本的な姿勢として。

あとは言葉的なもの。
言葉に対してもっといろいろできそう。そしてアウトプットしていくとか、
アウトプットをする場をどんどん作っていったほうがいいなと思って、
それはブログでもいいけど、自然石を集めるという方法だろうと思う。
きっとそういうことを見えないところでやっている人が強いんだろうなーと。
そして自分もそうやってやってきてるし、やっていこうとますます思う。

 

もう少しで大分固まる

考え続けているものがある。
一つのアイデアでもいいし、そういったものは頭のどこかにいれておいて
都度取り出して確認する。そういうことを今月はよくしている。

気づきとしては当たり前だが、
やはり一人でやろうとしている部分が多い。僕は一人でやる気がないんだが、
まだまだ一緒にやろうという提案が下手みたいだ。今後の大きな課題。
でも、誘ってくれる人もいる。実際に回る部分はある。が、営業的な立ち位置っていうのは、
得意か不得意かでいうと、多分得意。ただ、そのポジションが自分にぴったりという気はしない。
誰かがやってくれたほうがきっとしっくりする。または僕よりうまい人はいくらでもいる。
これは確かな感触として。

そして、ビジネスとしては、いかに自分と違う人が一つの目標に向かって
パフォーマンスを出し切るか。ただ、それだけである。
だからこそ、自分と違う人とつながる。同じ分野にいてはダメだと思う。
それはどんな分野でもいいと思うが、固まってる(悪い意味で視野が狭いという意味)なら
もっと壊していったほうがいいのではないかと思った。

そして、見えてきたものは、
きっと、固執している自分は、失敗したからどうとか、失敗と認めたくないとか、
なんかそういう小さなものでもなく、そもそも手痛い失敗を受けないような仕組みが
完成されていて、今は何をやっても凪。つまりは経験値がどんどんストックされて、
一気にどーんと出るタイミングかもしれないと思っている。
それか、まだまだ経験値が足りないかのどちらかだ。経験値は常に足りないし、
失敗だらけなので増えていくだけしかないので、あまり意味はない。
経験すればよくなるという問題ではないからだ。

つまり、経験が足りないから経験しても、結局そこでの課題は経験値がある上での課題。
その課題は明日が今日となるような感覚であまり意味があるものではない。
もちろん、経験を構築していったほうが良いように聞こえるかもしれないが、
それは僕が経験をして良いと思ってそれが役立つと思うかだけの話。

 

僕ならもっとできるから。

自信だ。
でも、キミなら出来るし、君ならもっと出来るという言葉も
同様にあると思う。
人は人を認めるとき、実は人より成長しているといっていい。
また同様に、自分が背伸びしないからこそ、認められることが
一杯あるみたい。
だから、僕も、あなたも、君も、皆も、
皆ならもっと出来るといえる。

世界で頑張る

世界的に動くというのがぴったりくる。
やどかりみたいに、やはり住まいが合わないなら、
動くべきだろう。適した貝を目指そう。
実はそういった、「理想郷」みたいなものはないかもしれない。
が、とはいえ、そもそもないから、どうなんだろうというのもある。
生きるのには小さなサイズで生きるのがいいかもしれないが、
人間の心はそれに縛られない、つまり目の前に縛られない色々なものが
たくさんあると思う。
だから、希望というもので人は頑張れることがよくある。

仕組化

一人あたりの作業コストを減らしつつ、
かつその狙うべき効果は最大にする。
それが仕組化の最も目指すべきところか、と考える。
何を役割として担うのがいいか。
企画、デザイン、営業、事務、裏方、ミーティング、電話番。
色々あるが、自分が仕組化をしたときに、その仕組に従って、
何も考えずに回る。
イチイチ考えたい人には、不向きなものかもしれないが、
そういった仕組化はやっていかないと人は色々なことを
同時に色々できないんだろうと思ったりする。
小さな力で回っていけば、それはそれで大きな可能性を産む。
もちろん、ルーチンでただやっているだけでは、
全く意味がない。思考がそこに入ってこそ、はじめて、
仕組みの価値が生まれてくる。
小さな個々の動きが、チリツモで最大化する瞬間に、
仕組化に対して敬意を払うことになるかもしれない。

学びの場を創ること

海外というフィールドそのものを、
学びの場にするという発想は面白い。
一つの事柄とか、イベントを色々な形で応用する。
それで複数の可能性を産む。
そんなことの繰り返し。
でも、分かることばっかりでもやはり面白くない。
想定外を楽しめるか。予想外を楽しめるか。
または、そういうものを込みで人生を楽しんでいるか。
常にそれが問われていて、そして一気に問われるとき、
それに対して大きな声で言い切る。
それが励ましであり、希望であり、可能性みたいだ。

時間を合わせること

例えば会議などは、時間を合わせて参加者が集まる。
時間をあわせることで、共有体験がリアルタイムですすむ。
というよりも、単に会話をしていることで共有が出来る。
時間を共に過ごすことなく、共有が出来るかどうか。
言葉の誤解は多い。一つ伝わっても他は伝わらないかもしれない。
共有をして、意識を植え付けるという方法もある。
でも、共有は自主的にしかできなくて、強制や強要なら出来る。
共有しましょうといったときに、
共有したくないなら、共有は出来ない。
お互いに出来ないのだから、共有が出来るということは
それだけでなかなか価値のあることだと思う。

自信を崩壊させる

自信があったことで、実際にやってみると、
うまくいかない。なんでうまくいかないんだろう?
ヒントはあれど、実際にそれをうまくやるには、
自分で何が問題かを見付け出して、そこをクリアできるように、
自分が動いて習得するしかない。
自分なら出来る。あなたなら出来る。
自分の自信という枠が何度も壊れても、また創る。
自信という枠を再構築する。
そこから新しい自信とか、自分が生まれるかもしれない。
成長とは、一つの枠をこわして、新しい枠をつくることかもしれないし、
または、あえて自信を壊すことかもしれない。
何も出来てないとか、出来ると思ったけど出来ないということを
感じる時は大いに成長している証拠。

気を使う人

僕がではなく、そうやって色々な人に気を使う人のことだ。
気を使ってしまうので、何かと人の行動が気になる。
もちろん、自分の意志でやっているのだが、
人の中で優先順位をつけることが難しくなる。
気を使う人が良いところは、
気を使わない人が見えない部分も丁寧に対応できるところだ。
だから大事。
でも、気を使う人はそれなりにストレスを受けているような気がする。
受けているというか、ストレスをもらってそれで役割を果たすみたいな、
ちょっとした自己犠牲的な心がある。
美しいかどうかはおいておいて、
僕はとても真似ができないが、そういった人の考え方や
気を使うことで、見える部分があるということは、
大事にするということでとりあえずOK。
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